祝島漁師の意見陳述

中国電力が祝島島民2人、カヤック隊の2人を上関原発の建設工事を妨害したとして、2009年12月から4800万円損害賠償の訴訟を起こしています。訴えられた祝島の漁師の橋本久男さん。橋本さんから意見陳述書(原告に対する被告からの意見)の原稿を貸して頂き、文字おこししをしました。約30年間にもなる上関原発の反対運動をどういう想いでやっていたのか、ここに祝島に生きる一人として書いています。とても心に訴えられる意見陳述です。是非、読んで下さい。金ちゃん

↑に載せている映像は2009年11月から田ノ浦で始まった、上関原発の為の海の埋立工事です。損害賠償4800万円は、このときに工事を妨害された中電の損害ということで請求されています。

意見陳述書

 

被告 橋本 久男

私は、この訴訟で被告の一人とされている橋本久男です。

1967年に祝島中学校を卒業してから島を離れ、島外での仕事に従事してきました。

1978年からは、祝島に住所を戻し、岩国で配管業に従事しました。岩国での配管業の仕事は9年に及び、その期間には岩国発電所や下松発電所などの火力発電所の配管作業へも携わりました。中でも私の人生に大きな影響を与えたのが、1981年に、福井県敦賀市の原子力発電所、敦賀発電所2号機で、配管作業に従事したことでした。このとき、敦賀発電所2号機では、一般排水口からの放射能物質漏れ事故をおこしており、3週間という短い期間でしたが、赤い作業服を着て、炉心に近い場所で作業したことを覚えています。

胸に放射線を探知するアラームを携行しての作業は、いつも恐怖と隣り合わせでした。ひどい時は10分ほどでアラームが鳴り、退場しなくてはなりません。また、作業従事者には被曝手帳もつくられ、精密検査も行われました。この検査で、一緒に従事していた人も含めて、白血球の数が異常に減少していたことを覚えています。この経験は、原子力に対する恐怖心を植え付けたものでした。また、原子力の危険性と、常に被曝者を生み出していることを痛切しました。その後、原子力発電所での仕事を続けることへの恐怖心から、途中で仕事を引き上げました。それ以降も、原子力発電所での作業の話が何度かありましたが、行く気にはなりませんでした。被曝者を生む原子力は、平和利用できません。私たち生命は、原子力と共存できないのです。

 

その翌年1982年に、上関町で原子力発電所建設計画が持ち上がりました。当時、敦賀発電所で作業に従事していたことから、祝島共同漁業組合の理事をしていたちち・橋本友治から、原子力発電所について話を聞かれました。私は、危険性や恐ろしさを話したのを覚えています。ましてや、計画地が生活しているすぐ目の前であり、豊かな漁場であるため、絶対に建たせてはならないと父に話しました。

 

その後、祝島では「上関原発を建てさせない祝島島民の会」の前身である「愛郷一心会」が立ち上げられ、父も中心的に原発建設の反対運動を続けていました。その4年後、父は心半ばで、他界しました。とても無念でした。そのようなこともあり、私は父が他界した翌年の1987年に祝島に戻り、父の漁を継ぎ漁師になりました。それ以降、今に至るまでの23年の間、たてあみ漁・タコつぼ漁・イカス漁・素潜りなどの漁業に従事し、海の恵みを受けて生きてきました。私たちは漁業補償金を拒否し、海の恵みで生きることを選びました。私たちの権利は、お金や権力によって奪えるものではありません。私たち祝島漁民は、海を売ってはいないのです。

 昨年9月からはじまった埋め立て工事に対して私たちは、自分たちの生活や海を守るために、漁船を連ね、連日にわたり海上で抗議してきました。対して中国電力は「一次産業では生活していけなくなる」という暴言を言い、漁船名や人名をマイクで読み上げ、個人攻撃をするなど非人道的な行動をとってきました。その行為に対して、私たちは非暴力の意思表示を貫きました。

 

 海で生きている私たち漁師にとって、田ノ浦の海を埋め立てられることは死活問題です。これまで長い間、先祖代々、守り継いできた生活や命のつながりを断たれることになります。さらに原子力発電所が建設され運転が開始されることになれば、大量の温排水や塩素の影響で周辺は死の海になります。他の原発のように事故が起これば、離島の私たちは孤立してしまいます。閉鎖性水域である瀬戸内海に原子力発電所を造ることは、瀬戸内海全域の自然の生態系と漁師の生活を根底から壊すものです。

 

 私たちは、原子力発電所計画が持ち上がった当初から、一貫して正当な理由を持ち、原子力発電所建設を反対してきました。それに対して中国電力は、巨額な利権と、強大な権力を使って、地元住民のつながりを破壊し、生活を圧迫して、計り知れない多大な損害と疲弊をもたらしてきました。私たちは、自分たちの生活を不当に侵害する中国電力に対して、非暴力で抗議してきたにすぎません。地元住民である私たちを、自分たちの利益追求のために、損害賠償で押さえつけること自体、間違っていることではないでしょうか。私を含め被告とされている4人がこのような損害賠償を請求される覚えはありません。

 

 私は生まれ育った故郷の上関の海を誇りに思っています。原子力とこの美しい命の海は、決して共存することはできません。私にはこの祝島で安心して暮らす権利があります。私たち漁師には海を守り、受け継いでいく責任があります。地元住民を権力で押さえ付ける中国電力には、私たちの生活や命の海を犯す権利はありません。

 

 私たちは、計画が取り下げられるまで非暴力かつ正当な反対運動を続けていきたいと考えています。